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【特別号第1回】《日光東照宮鎮座400年記念トップ鼎談》日光市長 斎藤文夫氏×サントリーホールディングス 鳥井信吾氏

【特別号第1回】《日光東照宮鎮座400年記念トップ鼎談》日光市長 斎藤文夫氏×サントリーホールディングス 鳥井信吾氏

 

 
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※本対談は2016年度(平成28年度)に行われました。
 
 
《日光東照宮鎮座400年記念トップ鼎談》
「世界ブランド=日光、そのパワーの源流とは?」
 
2016年は日光東照宮鎮座400年、さらにさかのぼれば、勝道上人が日光の山岳群を修験道の霊場として開いてから1250年という節目の年に当たります。
この記念すべき年に、サントリーホールディングスの鳥井信吾副会長・マスターブレンダーをゲストにお迎えし、日光市の斎藤文夫市長とともに、日光市まちづくりアドバイザーを務める西川りゅうじん氏を進行役に、大いに語り合っていただきました。
日本のサムライ文化の聖地であり、幕末維新以来、多くの外国人からも愛されてきた日光の奥深い魅力、さらに世界を見据えた地域ブランドの価値について、次々に興味深いお話が飛び出します。どうぞ、お楽しみください!
 
 
<ゲスト・プロフィール>
鳥井 信吾(とりい・しんご)氏
1953年生まれ。甲南大学理学部卒業。南カリフォルニア大学大学院修士(微生物遺伝学)。
伊藤忠商事を経て、1983年にサントリー入社。京都ビール工場、山崎ウイスキー工場勤務の後、大阪工場長、取締役生産第1部長(ウイスキー担当)。2002年より、サントリー3代目マスターブレンダーを務める。2014年より、サントリーホールディングス代表取締役副会長、米国ビームサントリー取締役。2010年6月より、公益財団法人サントリー文化財団理事長、2015年より、ロート製薬社外取締役。2012年~2013年、関西経済同友会代表幹事。2014年から大阪商工会議所副会頭を務める。
 
<ホスト・プロフィール>
斎藤 文夫(さいとう ふみお)氏
1944年栃木県塩谷郡塩谷町生まれ。青山学院大学経済学部卒業後、旧今市市職員を経て、2000年から旧今市市長に就任。2006年より日光市長。栃木県ホッケー協会会長、栃木県アイスホッケー連盟会長、日光市社会福祉協議会会長を務める。妻(詩人の立原エツ子氏)と2男1女、孫が2人。趣味:読書、スポーツ観戦、山歩き、山菜・キノコ採り(今は休止)。座右の銘:「抜苦与楽」「自らを反省し、自らを造れ」「Learn to labour and to wait(努力すること、待つことを学ぼう)」。
 
<進行役プロフィール>
西川りゅうじん(にしかわ りゅうじん)氏
両親の新婚旅行先の日光で授かった“日光ベイビー”。1960年神戸市生。一橋大学在学中に企画プロデュース事務所を起業。「愛・地球博」の“モリゾーとキッコロ”や「平城遷都1300年祭」の“せんとくん”の選定・PR、「六本木ヒルズ」の商業開発、全国的な焼酎ブームの演出に携わるなど地域の元気化に努める。経産省「地域の魅力セレクション」や信用金庫協会「商店街コンテスト」の審査委員長、厚労省「健康寿命をのばそう!」運動スーパーバイザー、観光庁委員などを歴任。2014年4月より日光市まちづくりアドバイザーを務めている。
 
 
●日光の名の由来とサムライ文化の総本山
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斎藤  2016年は、766年に勝道上人が日光の山岳群を信仰の場として開いてから1250年、1616年に徳川家康が亡くなって日光に鎮座されてから400年目に当たります。
 
鳥井  それは記念すべき年ですね!
 
西川  日光の名は、820年、弘法大師(空海)が入山した折に名付けられたと言われています。日光の山々が、梵語(サンスクリット語)で極楽浄土を意味する「ポータカラ」に漢字をあてて補陀洛山(ふだらくさん)、それが転じて二荒山(ふたらさん)となり、弘法大師がこの二荒を音読みしてニコウと呼んだと言われます。
 
鳥井  なるほど、そのニコウに、日の本・日本の光の、日光の字を当てたわけですね。
 
西川  その後、平安末期に源氏の棟梁である源義朝が日光山を造営し、息子の頼朝が鎌倉幕府を開いた折に親族を日光山の統括者に据えました。その後、日光山の統括者は代々、鎌倉の鶴岡八幡宮の仏事も司ることとなり、日光山は源氏の守り神、さらには東国武士の信仰を一身に集める宗教的権威となって行きました。
 
鳥井  徳川家康はどうして自らの眠る場所として日光を選んだのでしょう?
斎藤 毎年5月に行われる東照宮の「例大祭」では、行列の際に神輿が3基出ます。一つは家康のものですが、残りの2基は源頼朝と豊臣秀吉のものです。つまり家康は、彼らを武士として認め、尊敬していたので、源氏や武士の守り神である日光山を重視したのかも知れません。
 
鳥井  勝海舟の『氷川清話』を読み返していたら、家康の遺体が納められている静岡の久能山東照宮にも織田信長と豊臣秀吉が祀られているとありました。「江戸幕府が300年続いた理由がそこにある」と海舟は書いていますが、秀吉は普通に考えれば敵なのに、家康は日光でも久能山でも彼を祀っているわけですね。家康以外の徳川将軍は日光東照宮には祀られていないのですか?
 
斎藤  隣に輪王寺大猷院というところがあるのですが、そこに三代将軍の家光が祀られています。家光は家康を崇拝していましたから、すぐ隣にお墓があるわけです。
 
鳥井  日光輪王寺と日光東照宮は、元は一体だったのですか?
 
斎藤  もともと一つのものが、明治以降の神仏分離によって分けられたものです。
 
鳥井  日光輪王寺は天台宗ですよね。鳥井家の墓所は比叡山延暦寺にあって、そこの法灯護持会という行事で輪王寺の方々をよくお見かけします。比叡山の総本堂で国宝にもなっている根本中堂(こんぽんちゅうどう)が焼き討ちに遭ったあと、再建をしたのも徳川家光ですし、何かご縁を感じます。
 
斎藤  日光東照宮は当初は粗末な社でしたが、それを豪華にしたのは家光です。
 
鳥井  根本中堂の再建と同時に手掛けていたのかも知れませんね。そういえば、鶴岡八幡宮は源氏と武家の守り神ですが、京都の石清水八幡宮や大分の宇佐八幡宮など、他の八幡宮とも何か関係があるのではないですか。 
 
西川  宇佐八幡宮というと、確か斎藤市長のお姉様が……。
 
斎藤  ええ、民間人なのですが、たまたま栃木から宇佐に嫁ぎまして。
 
西川  確かに各地のサムライ文化でさまざまなご縁がつながっていますね。
 
 
 
●世界遺産・二宮尊徳・日光街道
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斎藤  日光東照宮を中心とする二社一寺が1999年に世界遺産に登録されて、2016年で17年目になります。
 
西川  東日本で最初に認定された世界文化遺産ですね。
 
斎藤  面積で比較すれば、全国で一番大きい市が飛騨高山市、二番が浜松市、そして三番目が日光市です。2006年に今市市などと合併して10周年ですが、実に栃木県の四分の一が日光市に当たります。
 
鳥井  それはすごい!江戸時代、日光は天領(江戸幕府の直轄領)でしたよね。
 
斎藤  はい。その日光御神領の復興のために幕府から派遣されて、新たな街づくりを行ったのが二宮尊徳翁です。今でいう地方創生ですね。二宮尊徳翁は今市の報徳二宮神社に祀られ、お隣の如来寺に眠っておられます。
 
西川  今市は現在も日光市の中心市街地ですが、往時の数々の主要な街道がクロスする交通の要衝で、今市とは現代風に言えば、トレンドマーケット、フレッシュマーケットだったわけです。さらに、昔の旧日光エリア、銅山のあった足尾、温泉も鬼怒川、川治、湯西川など、日光市は全域にわたって豊富な地域資源・観光資源があふれています。
 
鳥井  そういえば、私は中学校の修学旅行で神戸から日光にうかがいました。東京と日光をセットにした行程で、バスでうかがったのを覚えています。日光の東照宮で陽明門を見たり、左甚五郎の眠り猫の説明を受けたり、各地を回りました。父方の叔母に写真機を借りて行ったのですが、その写真機でカラー写真を写した思い出があります。たぶん、1967年か68年のことで、東京オリンピックは終わっていましたが、カラー写真はまだ当たり前ではない時代でした。三猿とか陽明門とかたくさん写して、叔母に見せに行ったら「全然、人が写ってへんね」と。その写真は今もどこかにあるはずです。
 
 
 
●「夏になると日本の外交は日光に移る」
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西川  明治になって開国してから、日光は多くの外国人から愛される特別な場所になって行きました。日本の近代医学の祖であり、東京帝国大学に医学部を創設したドイツ人のエルヴィン・フォン・ベルツ博士も日光をとても気に入って、明治天皇やのちの大正天皇、さらには伊藤博文らと共にたびたび訪れたと言われます。大正天皇がご病気になられた折には当時の皇太子様(昭和天皇)もご一緒によく日光にいらしたそうです。世界遺産の杉並木の傍らにある異人石はベルツ博士が腰を掛けた石だと伝わります。
 
斎藤  大正天皇の御用邸がありましたので、そのご縁で現在の天皇陛下は、戦時中、日光に疎開されていたんです。山がお好きでよく登っておいででした。
 
西川  日光は皇室とのご縁が深く、また、ヨーロッパ各国の大使館の別荘が建ち並んでいました。
 
斎藤  日光を愛したことで知られるイギリス外交官のアーネスト・サトウが中禅寺湖畔に建てた別荘が、のちにイギリス大使館の別荘になって、そこに女性旅行家のイザベラ・バードさんが1ヵ月くらい泊まられたのです。
 
斎藤  今みたいに冷房がないので、涼しい日光が避暑地になっていたわけですね。
 
西川  「夏になると日本の外交は日光に移る」と言われた通りです。
 
鳥井  なるほど。軽井沢より先に、日光こそが外国人に人気を呼んでいたのですね。
 
西川  ベルツ博士はドイツのビールをこの地に持ち込みましたし、イギリスの大使の別荘では間違いなくウイスキーが飲まれていたことでしょう。そのほか、ワイン、ブランデー、グラッパなど、各大使が持ち込んだ各国のお酒もあったでしょう。そう考えると、日本で最も早い時期に洋酒が楽しまれた場所、洋酒文化が花開いた地とも言えるのではないかと思います。
 
鳥井  気候がいいということも大きいでしょうね。
 
西川  日光金谷ホテルも日本で最初の西洋式ホテルの一つですね。
 
斎藤  アインシュタイン、ヘレンケラーをはじめ、当時の世界の著名人のほとんどが泊まったと言ってもいいホテルです。
 
西川  今、日光には世界中からインバウンドの観光客がどんどん増えています。修復中の陽明門も2017年の春には公開になりますし、同年の夏には東武鉄道が蒸気機関車を復活させて、下今市の駅から鬼怒川まで定期的に走らせます。
 
鳥井  それは面白いですね。実はサントリー文化財団では「サントリー地域文化賞」というものを設けておりまして、1979年以来、各地で町おこし、村おこしを行っている市民団体を年間5~6団体ほど選んで顕彰しています。
 
西川  なるほど、地域文化をウイスキーのように醸し出している団体を応援しておられるわけですね。日光にもたくさんのお祭りや町おこしのイベントがあり、斎藤市長が力を入れておられます。2016年の10月にも世界大会で来日したミス・インターナショナルを招いての日光へのツアーを企画したり、お祭りの時代行列などにも多くの外国人が参加しています。
 
鳥井  私は関西経済同友会や大阪商工会議所の役員として、盛んに「お祭りとインバウンド」と言ってきましたが、いまだに実現できていません。お祭りだと人手もボランティアが中心になるのでコストもさほどかかりませんし、日光のように、日本のお祭りに外国人観光客を呼び込んだら絶対に盛り上がると思います。
 
 
 
●日光とサントリーの共通点とは?
 
西川  日光とサントリーの相通じる話題といえば、やはり、水ですね!
ウイスキーの語源は生命の水(ウシュクベーハー:Uisge-beatha)と言われています。そして、鳥井副会長はサントリーの第3代マスターブレンダーでもいらっしゃって、ウイスキーの香り・味はすべて鳥井副会長の責任で決定されているのですね。
一方の日光は、昔から日本有数の水が美味しいところとされ、最近でも日光の天然氷で作るかき氷が全国的に人気を呼んでいます。水が良いのでお線香も作られています。
 
斎藤  杉の葉を乾かして、それを水車で粉にして、線香を作ります。杉線香の国内生産の半分くらいは日光かも知れませんね。日本香堂の工場もあります。
 
西川  サントリーのシングルモルトウイスキー「山崎」は今や世界ブランドですが、山崎蒸留所もやはり水が良いということで選ばれた場所ですよね。
 
鳥井  そうです。やはり、水ですね。先ほど話に出た京都の石清水八幡宮は山崎蒸留所とちょうど川を隔てて対岸にありまして、男山を挟んで石清水八幡宮と山崎工場が対のような形になっているんです。
 
西川  日光は男体山、石清水は男山。直接の関係があるかどうかはわかりませんが、どちらも水のいいところとして知られていますね。
 
鳥井  当社のウイスキーを造る水は川の水ではなく中国山地から来ている地下水を引いて使っています。
 
斎藤  日光の水も日光連山に降った雪雨が長年をかけて出てくる伏流水です。水が良いので、もやしや豆腐を作る工場がありますし、蕎麦が特産品になっています。
 
西川  そういえば、サントリーでは、水の保全活動を行っていますね。
 
鳥井  そうなんです。私どもは「水と生きる」ということをコーポレートメッセージに掲げています。使う量以上のものを還元しようと、山崎蒸留所の近くに植林を行い、「天然水の森」を守る活動を行わせていただいています。
 
西川  日光でも、外資系の製薬会社や食品会社など、水を使う企業がますます増えていますね。
 
斎藤  はい、当地の水を調べて、良質だとお認めいただき、工場を立地していただいています。
 
鳥井  お酒はいかがですか。
 
斎藤  お酒は日本酒の蔵が2社あります。ウイスキーの蔵はまだありませんが。
 
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●海外で最も人気が高い戦国武将は誰か?
 
鳥井  私は「経営者も政治家も徳川家康をもっと勉強せなあかん!」と思うんですよ。織田信長はあれだけの天才ですが長続きしなかった。豊臣秀吉も偉大でしたけど、韓国や明、唐天竺まで手中に収めようとするのは誇大妄想ですよね。それで結局、国を潰してしまった。家康はそこをぐっと我慢して、300年にも及ぶ日本の太平を創ったわけですから偉大です。鎖国もイギリスやスペインの植民地になるのを避けるためでしょうし、最後に自分のお墓をどこにつくって、その先どうなっていくのかまでをも考えていた。そういう長期戦略が素晴らしいですね。その思想を解明することは日本の成長戦略にもつながるのではないかと思うんです。
 
西川  戦国武将の中では、中国などアジア圏では家康が一番人気なんですよ。山岡荘八の『徳川家康』が翻訳されて各国でベストセラーになっています。日本でも高度成長期には立身出世を目指すビジネスパーソンのバイブルでしたが、現在のアジアでは徳川家康こそ21世紀を生き抜くための最高のテキストだとして支持されています。
 
斎藤  家康は平和主義者でもあり、中国、朝鮮半島では確かに人気があります。秀吉は好かれていませんが。
 
鳥井  侵略しましたからね。
 
西川  日光に来るアジアの人たち、特に若い人は、「なぜ徳川家康のゲームがあまり日本にないのか?」と不思議がります。世界ブランドの日光と家康の組み合わせは世界に向けたコンテンツとしてもパワフルです。
 
斎藤  日光江戸村もありますし。特に忍者は外国人に人気がありますね。
 
鳥井  外国人はサムライと忍者が好きですね。その話をすれば、欧米人も、けっこう乗ってきます。
 
西川  西洋文化の騎士道と日本の武士道に相通じるものもありますしね。
 
 
●鳥井副会長の先祖と日光の御縁
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鳥井  思い出したのですが、私の母方の先祖に川村(対馬守)修就という幕府の官僚がいまして、勘定吟味役だったこの人が天保12年に日光御霊屋御修復奉行を水野越前守忠邦より命じられたのです。
 
西川  当時の財務省の高級官僚に日光東照宮修復という国家プロジェクトを担当させたような感じでしょうか。
 
鳥井  そうですね。日光には半年くらいいたようです。私はこの人の孫の六男の娘の息子に当たります。関係としては遠いですが、東照宮の陽明門が修復中だと伺って、150年前の修復担当者が私の先祖だというのも不思議なご縁だなと思います。
 
斎藤  莫大なコストがかかる大変なプロジェクトだったはずです。優秀な方だったのでしょうね。
 
鳥井  30代後半で若くして勘定吟味役に抜擢されたようです。この人はわりと骨のある人だったらしくて、勝海舟が「幕府に骨のある三人の男がいた」と述べています。一人は山縣(有朋)、それから大久保(利通)、それから川村対馬守だと。
 
西川  勝海舟がその二人と並んで評価したというのはすごいことですね。
 
鳥井  勘定吟味役というのはわりと若い人がなるようですが、権限が強かったようです。金勘定もわかるし芸術もわかる。砲術の指南役でもある。わりとマルチな人だったらしく、造形的なこともできるので修復作業をやらせたのでしょう。
 
西川  鳥井副会長のご先祖と日光、しかも日光東照宮が結ばれていたとは大変驚きました本当に不思議なくらいご縁がつながりますね。
 
 
 
●徳川家と日光が繁栄し続ける理由
 
鳥井  東京から日光までの、おおよその所用時間はどれくらいでしょうか?
 
斎藤  2時間あれば来られます。電車でも2時間あれば十分です。
 
鳥井  すると、軽井沢とほぼ同じでライバルでもあるわけですね。
 
斎藤  たしかに、そういう点もあるかも知れません。
 
西川  ただ、軽井沢には日光東照宮をはじめ二社一寺はありません。それに類する歴史的遺産もありません。東日本で最初の世界文化遺産があるのは日光の大きなポイントでしょう。
 
斎藤  外国の方が何泊かの旅行で来られる場合、まず東京から日光、そして軽井沢に行くというパターンが多いようです。ですから、2つの地域が共存する形で周囲とどんどん連携して行きたいと思っています。
 
西川  世界的な観光地として日光ブランドはすごく強いものがありますから、いろいろなコラボを考えながら、市長のおっしゃる連携を良い形でつないで行けたら素晴らしいことですよね。
 
斎藤  今後、さらに連携を進めて行きたいと思います。
 
西川  日光東照宮は究極のパワースポットですし、徳川家は長きにわたり繁栄しましたから、子孫繁栄でもご利益のある土地ですね。平成の世にも徳川宗家は現存していて、しかも敵だった秀吉公まで祀っている。そして、家光公や歴代の徳川家のゆかりの如来寺には、戊辰戦争の折に今市での激戦で亡くなった新政府軍の薩摩、長州、土佐、肥前の藩士もたくさん眠っています。
 
斎藤  戦場になった場所ですからね。杉並木にも砲弾の跡が残っていたりします。
 
鳥井  彼らは本来、日光から見たら敵に当たりますよね。
 
西川  それでも、日光の今市の方々はちゃんとお弔いをして、大切にされています。家康公のような「待つこと」の大切さ、そして、皆と仲良く融和していくこと。日光のパワーというのは、自然はもちろん、そうした地域の方々の中に息づく、歴史、伝統、文化の総力だと感じます。
 
鳥井  勝海舟も言っているように、徳川家が長く続いたのはやはりそういうことからだという気がしますね。外国の人も関ヶ原などの合戦の話を好みますね。
 
西川  関ヶ原で家康は、難破した外国船から引き揚げた西洋の強靭な甲冑を身に付けていました。未曽有の銃撃戦となった関ヶ原の戦場において、弾丸をはじき返せる強度の甲冑を身に着けていればこそ、家康は最前線に乗り込んで自ら采配を振るうことができたのです。つまり、最先端の技術を活用する一方で、人の和というものを大事にしていたから、家康は戦に勝ち、その後も繁栄し続けることができたのではないでしょうか。
 
 
●水から・自ら「日光詣に!」
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鳥井  家康について考えると、とにかく徳川家を守ること、そして、江戸幕府存続への強い意志を感じます。
 
西川  国も企業も地域も家も続いて行く、続けて行くことが何よりも大切ですからね。それには文化の醸成に長い時間がかかりますね。
 
鳥井  同様にウイスキーづくりには長い時間がかかります。
 
西川  おっしゃるとおり、100年企業でなければできないことがあります。明治維新で江戸から東京になりましたが、東京が今もこれだけ発展しているのも、日光東照宮が皇居、つまり江戸城の真北に置かれていて、北辰、北斗七星、北極星として二荒山(男体山)とともに江戸、東京を守っているからだとも言われます。江戸東京の風水上の北の守りが日光なのです。
 
斎藤  東日本大震災でも、地盤が岩盤なので、お陰様で日光は大した被害がありませんでした。
 
西川  信じられないですよね。あれだけの地震が近くで起こって、日光東照宮をはじめどれも古い建物ばかりなのに、全然被害がなかったというのは驚くべきことです。
 
斎藤  不思議ですよね。最初に、鳥井さまから、なぜ家康が日光を選んだのかというご質問がありましたが、江戸時代にさまざまな調査を行って、家康がその中から最適な場所として日光を選んだような気がします。
 
鳥井  やはり、そうなのでしょう。
 
西川  それに、日光に来ると何だか元気になります。そういう空気、パワーがあります。
 
鳥井  それなら、「企業人は、全員、日光詣でに行かなあかん!」ということにしたらどうでしょう。
 
西川  そうですよね。それこそ鳥井副会長を中心に、ダボス会議じゃないですが、日光会議を開催していただきたいです。家康公のエピソードをはじめ、こういう奥深いテーマをもっともっと掘り下げて、日本全国、そして世界に向けて日光を発信して行きたいですね。「お伊勢参りと日光詣で」は企業人のみならず、日本に住む人、訪れる人には必須でしょう。外国人にも侍スピリットの総本山である日光には必ず足を運んでいただきたいです。
 
鳥井  そこに、ぜひ大阪も入れていただいて。
 
西川  日光に来た人たちがサントリーの本拠地である大阪にも足を延ばしてくれたら素敵ですね。近くには京都や奈良という世界的な観光地があって、同様に世界遺産も数多くありますから。途中の新幹線で富士山を見てという楽しみ方もできますしね。まさに、市長のおっしゃる連携ですね。
日光には観光も食もあって、水が良いということで多くの企業が注目しています。そういう意味で、日光はまさに日の光、日本の光とも言えます。そういう面でも、日本の命の水を世界に供給しておられるサントリーとは本当に相性がピッタリですし、ご縁がありますね。
 
鳥井  サントリーのサン(SUN)、太陽とも重なりますね。
 
西川  おっしゃる通り!日光の日はまさに、SUNTORYのSUNですね。日光は侍スピリットの聖地ですし、将軍が飲んでいた水を「日光のサムライウォーター」として、日本初の世界的なミネラルウォーターにできたら素晴らしいですね。日本は水大国なのに世界的な水ブランドがまだありません。日光の名前は世界的に知られていますし、何と言っても将軍の水ですからね。ミネラルウォーターだけでなく、「山崎」「響」に続いて、「日光」というウイスキーがあっても良いのではないでしょうか。
 
鳥井  そんな畏れ多いです。お名前をお借りするなんてことをしたら、大権現様に怒られてしまいますよ。
 
西川  日光は日本の武士道の象徴でもあり、家康の長期戦略と長く眠るウイスキーという意味でもピッタリではないですか。日光の、まさに命の水。日光ブランドのウイスキーというのは世界ブランドになり得る気がします。
 
鳥井  水は生きています。単なる無機質の物質ではなくて、水の中に一つの生きるエネルギーがあるのではないかという気がするんです。私たちの生命を生かしているのが水。水がなければ生命もないですから。
 
斎藤  だから「みずから」と言うんですね。
 
西川  なるほど、「水から」と「自ら」!
 
斎藤  偉いお坊さんから、そういうふうに教わりました。
 
西川  サントリーのお仕事と同じで、やはり最後は水だと思います。人のからだのほとんどは水でできていますし、水が合うとか合わないとかも言いますね。鳥井副会長と斎藤市長が今日こうしてお話しになっているのも、ご先祖様を通じたみずからのお引き合わせかも知れませんね。
 
斎藤  鳥井副会長には、日光にぜひ二度目の修学旅行にいらしていただければと思います。
 
鳥井  ぜひとも伺いたいですね。斎藤市長もどうか山崎においでください。
 
西川  本日は興味深いお話をありがとうございました。
 
 
 

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経営コラムニスト紹介

マーケティングコンサルタント 西川りゅうじん氏

西川りゅうじん氏 マーケティング コンサルタント


1960年生まれ。兵庫県出身。84年一橋大学経済学部卒業。86年同大学法学部卒業。

在学中に企画プロデュース会社を起業し、30年にわたり赤字の年なく経営。
実家は創業以来63年間黒字の製造販売業を営む中小企業。

「ウォークマン」の販売促進、「ジュリアナ東京」のPR、「福岡ドーム」のオープニング演出、「六本木ヒルズ」「表参道ヒルズ」「三井本館」「コレド日本橋」「京都駅ビル」「上海金融環球中心」のコンセプト立案・商業開発、「愛・地球博」の“モリゾーとキッコロ” や 「平城遷都1300年祭」の“せんとくん”のデザイン及びネーミングの選定・広報、「つくばエクスプレス」や「成田スカイアクセス」の沿線まちづくり、本格焼酎マーケティング研究会座長としての芋焼酎の全国的な人気づくり、「龍馬伝」と連動した高知県「龍馬博」総合プロデュース、日本橋・吉祥寺・柏・瀬戸内7県・沖縄離島の地域活性化に携わるなど、産業と地域の“元気化”に 手腕を発揮している。

東京工業大学・早稲田大学・津田塾大学・甲南大学・東北芸術工科大学・松山大学の非常勤講師、拓殖大学客員教授を歴任。

厚生労働省「健康寿命をのばそう!Smart Life Project」スーパーバイザー
経済産業省「地域の魅力セレクション」審査委員長
林野庁「森林セラピー」戦略会議座長
(社)全国信用金庫協会「商店街ルネッサンス・コンテスト」審査委員長
観光庁「観光立国推進戦略会議」ワーキンググループ委員
神奈川県と横浜市が連携したまちづくり委員会「マグカル・テーブル」座長
兵庫県参与
長崎県観光PRアドバイザー
熊本県「企業力《1ランクUP!》プロジェクト」スーパーバイザー
(公財)にいがた産業創造機構アドバイザー
日光市まちづくりアドバイザー
小田原市観光協会総合アドバイザー
藤沢市駅前商店街活性化アドバイザー
都城市PRアドバイザー


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