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第100回(最終回) 「バブル崩壊」「リーマンショック」の体験実録
~内なる言葉に耳を傾け変化の予兆を察知しよう!~

次の売れ筋をつかむ術

変化には必ず予兆がある。
 
事前にその変化を捉えるには、当たり前のことを当たり前に感じ取る皮膚感覚を研ぎ澄まさねばならない。
 
そして、その予兆を客観的に判断し、迅速果敢に決断し、実行することが大切だ。
 
「《売れ筋》をつかむ術」について執筆して来たが、《売れ筋》をつかむことと同様に、あるいは、それ以上に、その真逆の《死に筋》へと潮目が変わる予兆を察知することはさらに重要である。
 
それも大きな時代のうねりを察知できなければ、個人や中小企業はもちろん、大企業といえども生き残れない。
 
以下、りゅうじんの前半生を振り返りつつ、「バブル崩壊」と「リーマンショック」という、戦後経済の2大転換点に実際に直面した際に、「バブル崩壊」を辛くも赤字の年なく生き延びたものの決断できなかった蹉跌と反省、そして、「リーマンショック」を幸運にも回避できた実体験を述懐して、本連載コラムを締めさせていただきたい。
 
100か月(8年4か月)にわたり得難い機会を賜わり、浅学非才ゆえの当方の遅筆を忍耐強く励まし続けていただいた日本経営合理化協会の皆さま方、そして、毎月、独断と偏見に満ちた拙文にお付き合いいただいた読者諸兄姉に、心から感謝申し上げます。
 
 
 
●バブル前夜の厳しい時期
 
西川りゅうじんのビジネスの原点を振り返ってみたい。
 
私は1980年に上京し、多摩地域の大学に入学した。
 
親に負担をかけたくなかったので、80年代でも既に珍しかった裸電球がぶら下がるだけの、風呂なし・共同の汲み取り式トイレの下宿で、東京での新生活を始めた。
 
当時の私はバブルはおろか、経済的豊かさとは、まったく無縁の貧乏学生だった。
 
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1979年のイラン革命で石油の生産が止まり、日本は第二次オイルショックに見舞われた。
 
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さらに、アメリカがG5各国にドル安誘導を飲ませた1985年のプラザ合意によって、1ドル=250円から100円代まで一気に円が急騰し、輸出に頼っていた日本経済は深刻な円高不況に突入した。
 
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この対策として政府が行った積極財政による公共投資の拡大、公定歩合の引き下げが、株式・土地などへの過剰な投機を許し、1986年から1991年に至るまで、いわゆる、バブル景気を引き起こすことになったのだ。
 
今日まで曲がりなりにも何とか生かしていただいて来たのは、このバブル前夜の厳しい時期に学生時代を送り、起業したことが幸いしたと思う。
 
 
 
●学業も課外活動も水を得た魚
 
入学後は学業も課外活動もまさに水を得た魚だった。先生方と学友から学ぶことの楽しさを教えられた。
 
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経済学の関恒義先生のゼミナール、国際政治の野林健先生のゼミナールで幹事長を務めさせていただいた。
 
また、日本のマーケティング学会の創始者・田内幸一先生、ハーバード・ビジネススクールでも教鞭を執る竹内弘高先生、マクロエンジニアリングの権威・中川學先生をはじめ碩学・泰斗から多くのことを教わった。
 
外務省主催のサンフランシスコ講和条約30周年の記念論文で入賞し、先輩で森ビル創業者の森泰吉郎さんから森社会工学学術奨励金をいただいてシンポジウムを開催したりした。
 
一方、学業のかたわら、ノンフィクション作家の杉山隆男さんや元・長野県知事の田中康夫さん、マーケッターの三浦展さんらを輩出した学内誌「一橋マーキュリー」の部長、日本製鉄(新日鉄住金)の初代社長に就任した橋本英二さん、日本テレビの土屋敏男さんらも先輩の一橋祭運営委員会で副委員長を務めた。
 
マーキュリーでは作家の椎名誠さんの講演会を開いたり、一橋祭ではスメタナ弦楽四重奏団や松任谷由実さんのコンサートなどを行った。
 
その頃の一橋は女子が留学生も含めてクラスに1、2名。そこで、現・外務省のアジア大洋州局長の金杉憲治さんらと、津田塾大学など近くの女子大の学生と高尾山に行く「1000人バスハイク」を行った。
 
でも、私たちは運営で手一杯で女子とは仲良くなれなかったが。
 
 
 
●「学生経団連CLS」
 
ちょうど、その頃、活動が活発になっていた、全国の各大学の学園祭、学内誌、広告、映画、放送、企画プロデュースなど、メディア系クラブの幹部の交流会「キャンパス・リーダーズ・ソサエティ」(CLS)が結成された。
 
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その初代の代表幹事に選ばれたのだが、この団体が日経新聞で「学生経団連」と報じられ、NHK特集など様々なマスメディアでも紹介された。
 
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このCLSによって、講演会やコンサートの際の警備や接遇、司会進行、音響・照明、編集や撮影のノウハウを学び合い、コラボしてイベントを開催したり、一緒にパンフレットに企業広告をもらったりできるようになった。
 
講演者やアーティストの出演日程、ギャランティの情報共有も役立った。
 
学生紛争の頃から休止していた立教大学の学園祭の復活、当時、青山学院大学の1・2年が厚木キャンパスに引っ越した際の厚木祭の立ち上げも、他大学がみんなで応援した。
 
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各大学から数千人の幹部が集う、CLSの年次総会「キャンパス・バンケット」のステージでは、早大生だったデーモン小暮さんにモノマネを披露してもらった。
 
さまざまな御縁が広がって、サンプラザ中野さん、いとうせいこうさんをはじめ、多くの同世代の異能・異才に出会った。
 
立教祭を復活させ、CLSの第3代代表幹事になったのが現在のリクルート社長の峰岸真澄さんだ。
 
また、USEN社長の宇野康秀さん、サイバード創業者の堀主知ロバートさん、KLab社長の真田哲弥さん、事業家の加藤順彦さんなど、その後、メディア・IT業界で活躍している人も数多くいる。
 
 
 
●企画プロデュース事務所を起業
 
大人に商品やサービスが売れなくなり、アルバイトでお小遣いを稼げるようになった学生、1986年の男女雇用機会均等法の施行前後から増加したOL正社員が、購買層として初めて本格的にクローズアップされ出した。
 
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マーケティングの理論を聞きかじっていたのとイベントの企画プロデュースの真似事を手掛けていたのが功を奏し、ソニーのウォークマンやホンダの軽自動車、丸井のデザイナーズブランドをはじめ、若者市場をターゲットにする企業の市場調査、商品開発、施設開発、販売促進、PRを請け負うようになって行った。
 
仲間に恵まれたお陰で、卒業時には年商が1億円を超えていた。
 
すべて御縁のおかげだった。私が稼いだというより、マーケティングという当時最新の考え方を実践する役割が回ってきただけだ。
 
大企業から正社員の内定をいただいたが、既にスタッフも雇用して責任も生じていた。
 
そこで、卒業後、マーケティング・プランニング・プロデュースの事務所を起業し、現在に至る。
 
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写真は1986年、26歳の時に雑誌の取材で撮影されたもの。代官山にオフィスを開設し、金融・自動車・流通・エレクトロニクス・エンターテインメント・食品など様々な分野のクライアントの仕事を手掛けるようになって行った。
 
 
 
●日本経済の強さを信じていた
 
そして、80年代後半になり、そこにバブルが到来したのだ。
 
誰もが「昨日よりも今日、今日より明日は豊かになる」と信じて疑わない空気感。この集団心理こそがバブルの本質だった。
 
毎年昇給するからとローンを組むのをいとわず、ボーナスを頭金にして高級車やマンションを購入しても平気だという幻想があった。
 
自らの情けない体験から、後に流行語になった「アッシー」「メッシー」の生みの親になったのはこの頃だ。
 
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そして、1991年に開店した「ジュリアナ東京」のPRを30歳で担当した時には、既に株価はピークの半値以下でバブルは崩壊していた。
 
政府や財界首脳の会見や経済紙の論評では、「たとえ、一時的に不況に陥っても、戦後の高度成長期とは異なり、日本のファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)は強い。しばらくすれば快復する」いう意見が大半だった。
 
「地価や株価が半値以下になれば大手銀行でさえ生き残れない。さすがに政府が放っておかないだろう」などと言われ、当時のほとんどの日本人が日本経済の強さを信じていた。
 
 
 
●4億円の債務超過
 
円高不況の厳しい時代に起業したこともあり、「こんな時代はいつまでも続くはずがない」と自らを戒め、うまい話はお断りするよう心掛けていた。
 
それでも、読みの甘さから様々な損害をこうむった。
 
臨海部で開催予定だった「世界都市博」では競合入札で民間のメインパビリオンのプロデューサーを受託したが、青島幸男知事の鶴の一声で中止になった。
 
景気に陰りが見え始めると、所有する不動産の実勢価格が急速に下落し、その時点ですべて売却すれば4億円も債務が超過する事態に陥った。
 
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さらに、日銀のインフレ対策で、銀行の貸出金利が1991年までの3年で8.5%まで4%も急上昇したのは弱り目に祟り目だった。
 
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生きた心地がせず、崖から谷底に落ちる夢を見て、叫び声を上げて脂汗ビッショリで飛び起きる毎日だった。
 
 
 
●「稼ぐに追いつく貧乏なし」
 
資金繰りがショートし兼ねないと思い悩んでいたある日、本棚の前にひざまずいて、朝まで声を上げて泣いた。
 
あまたの経済学の文献や歴史書を読み、17世紀のオランダのチューリップバブルや1929年の世界大恐慌も頭ではわかっているつもりだったが、まさに「論語読みの論語知らず」。
 
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情けなさで涙が止まらなかった。
 
その頃は経営者の自殺がニュースにならないほど相次いでいた。
 
高校の同窓生で、東大法学部を卒業し、大企業からスピンアウトして、売り上げ数百億円の企業を築いていた友人も本当に残念なことに自ら命を絶った。
 
朝日を眺めつつ、どうやって命を終えようか考えていると、ふと頭に浮かんで来たのが、亡くなった祖母が言っていた「稼ぐに追いつく貧乏なし」という言葉だった。
 
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井原西鶴の『世間胸算用』にも商人の心得として紹介されている江戸時代の諺だ。
 
支出以上に稼ぎがあれば貧乏になることはないという意味である。
 
「政府主導で設立された長銀(日本長期信用銀行)も日債銀(日本債券信用銀行)も拓銀(北海道拓殖銀行)も、山一証券をはじめ数多くの大手企業も倒産したのに、お前の会社は創業以来黒字で、金利はもちろん元本の返済さえ一度も遅れたことがない。五体満足で好きな仕事ができるこの上ない幸せ者が何をクヨクヨ悩んでいるのか?そんな暇があるなら仕事しよう!」と吹っ切れた。
 
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その後、借金のことを忘れて無我夢中で仕事を続けていたら、業績はⅤ字回復し、気が付けば20年も経たずに、すべて返済し終わっていた。
 
 
 
●「パパはハゲタカなの?」
 
「バブル崩壊」で痛い目に遭っていたので、その後は、「いつも土俵の真ん中で相撲を取る」ことを心掛けていた。
 
しかし、「リーマンショック」が、突如、勃発した際に無傷でいられたのは、単に幸運だったからかも知れない。
 
偶然、リーマン・ブラザーズ証券が破綻する1年半前に、実際に同社の幹部社員に会う機会を得て直感し、難を逃れることができたのだ。
 
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2007年5月2日、私は六本木ヒルズのリーマン・ブラザーズ証券の日本支社のオフィスに呼ばれた。
 
同社のエグゼクティブが、お子さんから、「パパはハゲタカなの?」と言われてショックを受けて、イメージアップやPR(パブリックリレーションズ)の必要性を感じ、私にアポイントメントの依頼があったのだ。
 
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同年の2月~3月、NHKで放送されたテレビドラマ『ハゲタカ』の影響が大きかったのにちがいない。
 
 
 
●〈ゴーマン・ブラザーズ〉の実態
 
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しかし、先方の幹部社員3名とのミーティングで、大きな違和感を感じた。
 
人を呼びつけておいて、30分以上、何の断わりもなく部屋で待たせ、遅れ出て来たのに一言の詫びの言葉もない。
 
ミーティングが始まっても、断りもなく何度も途中で席を立ったり、平気で携帯電話に出たりする。
 
その上、役員から連絡をもらって相談があると言われて来ているのに、「あなた誰?」「何やっているの?」 と、まるで売り込みにきた出入りの業者のように聞く。
 
さらに会話の中でも、「ウチは数億円レベルは客じゃないから」などと平気で言う。
 
「初対面の人にそんな言い方をすると誤解されますよ」と述べると、「他意はありませんよ。投資銀行では実際に扱うお金の単位が違うんですから」と意に介さない。
 
まさに〈ゴーマン・ブラザーズ〉だった。
 
あまりにもひどい態度なので、こんな状態ではイメージアップのしようなどないと感じ、
「さまざまな業種の数々の外資系企業にもお取り引きいただいてきたが、おたくのようにモラルの低い会社とはお付き合いできない」
とこちらからお断りした。
 
翌朝、「御社は間違いなく、皆がイメージするハゲタカそのものです。そんな傲慢な態度を取っていれば、神の見えざる手によりカタストロフィ(破滅)が早晩訪れるに違いありません」とメールをお送りした。
 
 
 
●「ゴルディロックス」は危機の予兆
 
日本の日銀に当たるアメリカの連邦銀行の10社程度しかない株主の1社でもあり、158年もの歴史を有するリーマン・ブラザーズが破綻するなど、誰が予想しただろう。
 
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「米国政府は、なぜリーマンだけを破綻させたのか?」という疑問が呈されるが、一事が万事である。
 
単に運が悪かったのではなく、必然的にそういう帰結に至るいくつもの兆候があったのだ。
 
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「リーマンショック」の直前は、平成から令和に元号が変わる現在の日本経済と同じように、「ゴルディロックス」(景気が過熱も冷え込みもしない適温の景気)状態で、多くの企業が浮かれていた。
 
しかし、リーマン・ブラザーズ証券の一件があったお陰で、バブル期以上に警戒を強めた。
 
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その後、2008年9月15日、リーマン・ブラザーズが経営破綻したことに端を発し、株価は大暴落。
 
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上場企業をはじめ国内外の多くの企業や投資家が破綻した。
 
 
 
●ノーベル賞受賞教授の言葉
 
「リーマンショック」の直後に、ノーベル経済学賞も受賞したプリンストン大学のポール・クルーグマン教授が述べた言葉を私は一生忘れない。
 
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「自分が生きている間に、世界恐慌のような事態に直面するとは思わなかった」
 
彼は現役の世界有数の経済学者であり、アメリカ政府やFRB(米中央銀行)など世界経済のありとあらゆる統計に日々触れ、政策に精通し、関与している中心人物の一人だ。
 
そのクルーグマン教授が、彼の自国であるアメリカの歴史的な経済の転換点の到来を予見できなかったとすれば、一体、他の誰がわかるというのだ。
 
ことほどさように、政府やマスコミ、学者、エコノミスト、ネットの情報を鵜呑みにせず、自分自身の皮膚感覚で変化を予兆を感じ取ることが何よりも重要だ。
 
 
 
●「人の行く裏に道あり花の山」
 
変化はピンチであり、チャンスだ。
 
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投資の格言の通り、「人の行く裏に道あり花の山」である。
 
マクロ的な常識や理屈に基づく従来の常識ではなく、ミクロの事象から皮膚感覚で感じる内なる言葉に耳を傾け、客観的に考え、実行していただきたい。
 
読者諸兄姉のご健勝とますますのご隆昌を心よりお祈り申し上げます。
 

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