似て非なるもの。「勇敢」と「無謀」、「慎重」と「臆病」など、世の中には見た目が似ていても中身が異なるものが沢山あります。
「リラックス」と「虚脱」は正にそれでしょう。
大事な場面に臨んで力んでしまったら、せっかくの能力も発揮されません。大事な場面だからこそ「力を抜く」ことが重要なのですが、そうすると今度は弱くなってしまいます。結局は力を抜くことが出来ないのです。
これは「リラックス」と「虚脱」を混同することで生じています。力を抜くことを、心身統一合氣道では「リラックス」と「虚脱」に分けて指導しています(英語圏では”living relaxation”と”dead relaxation”に分けて指導しています)。
「リラックス」とは、力を抜いた結果、身体の隅々まで氣が通っている状態を指します。リラックスすることにより、身体は強くなり効果的に使うことが出来ます。正しく力を抜くことによって、身体は弱くなるどころか、強くなるのです。
「虚脱」とは、力が抜けた結果、氣まで抜けてしまう状態を指します。虚脱になると、身体は弱くなり何も出来なくなります。もし、力を抜いた結果が虚脱だとしたら、恐くて力を抜くことなど出来ません。
「リラックスすると集中力が緩む」というイメージを持つ方がいますが、それは虚脱の誤りです。身体に力みがあるときは心は自在に働きません。リラックスすることにより心が自在に働くようになるので、「集中」が必要なときには集中力はより発揮されます。
「リラックス」と「虚脱」の違いを正しく理解頂くには、「氣の道場」のような機会で実際に体験頂くのが一番です。それでも、違いがあることを認識しておくだけでも動作の質は変わって来ます。
満員電車や人混みの中にいるとき、力んでいると周りからの衝撃を受けやすいですが、リラックスしているとほとんど受けません。虚脱でいたら大変なことになります。
2010年からロサンゼルス・ドジャースで指導して、選手から多く出た質問の一つが「本塁上での捕手のクロスプレー」についてです。
捕手には、すごい勢いで突っ込んで来る走者をいかに本塁に入れさせないかが求められます。実際に間近で見させて頂くとすごい衝撃で、クロスプレーで大きな怪我をして選手生命が絶たれてしまう選手がいるのも分かります。
多くの捕手は、衝撃に耐えるため力を入れて全身を固くしようとします。しかし、力めば力むほど衝撃を受けやすくなり怪我に繋がります。さりとて、力が抜けると虚脱状態になってしまい、それこそ大怪我に繋がります。
虚脱状態になるくらいならば、まだ力んでいる方がマシなのでしょう。結局、力を抜くことは極めて難しいのです。
このとき、氣の指導を通じて捕手が正しいリラックスを体得すると、実際に衝撃が少なくなるのでとても喜ばれます。(もっとも、メジャーリーグでは2014年から本塁上の危険なプレーが禁止になり、日本のプロ野球もそれに習うようなので、今後野球ではこの心配はなくなるかもしれません)。
ラグビーやアメフト、相撲、格闘技といった常に衝撃の伴う種目では、正しいリラックスを身につけることが不可欠です。そういった方々に氣の指導をする際は、「リラックス」と「虚脱」の違いを重点的にお伝えします。
そう言えば、野球の広岡達朗さん・王貞治さんと本の出版のために鼎談をさせて頂いたとき、王さんからお聞きした話がとても印象的でした。
「野球選手にとって打ちたいという氣持ちはとても大事です。ただ、その打ちたいという氣持ちをどう表現するかということ。打ちたいから全身に力を入れるのか、打ちたいからリラックスするのか」
「氣の道場」に通う経営者やリーダーの多くはゴルフをされていますが、ゴルフにおいても同じことです。力を入れても飛ばないと悩む人が、力を抜くことを覚えた瞬間に飛ぶようになるのは頻繁にあることです。
力を出すためには力を抜く必要がある、ということです。
我々の人生においてもリラックスは重要です。
困難に直面するとき、我々は身体に力を入れて身構えるものです。しかし、身体が緊張し余分な力みが生じると、刺激や衝撃を受けやすくなります。また、力み自体による疲労困憊があるので、短い期間で解決するならば良いのですが、長い期間では持ちません。
ただし、力の抜き方を間違えて虚脱状態になってしまうと、氣力までなくなってしまいます。正しいリラックスを身につけることによって、困難に打ち克つだけの強さが得られるのです。