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第4号 「21世紀における佛教の役割」

第4号 「21世紀における佛教の役割」

 前回、私は「人間は神になっても動物になってもいけないのであって、人間は人間になる義務を負っている。そして、人間が人間となるために、坐禅が必要なのである」と申し上げたが、今回はそのことについて、もう少しつっこんでお話ししたいと思う。

 というのは、次回から具体的な坐禅のやり方の説明に入るが、その前に、ぜひみなさんに、坐禅を中心とする佛教の教えというものが、この21世紀において、どのような意味をもっているかをふまえておいてほしいからである。

 もちろん、このことを本格的に説明すれば、一冊の本になるほどの内容である。したがって、今回はそのポイントだけを述べることにする。少し難しいが大事なことなので、最後まで読んでいただければありがたい。

 まず、「人間は神になっても動物になってもいけない」ということであるが、このことを前回と前々回でお話しした「自律神経」で説明すれば、交感神経が強いときに、人間は「神様」みたいになる。

 「神様」というと、いっけん聞こえはいいが、神様は我々人間の理想であり、ある意味、完璧だから、我々が神様になろうとしたら、その完璧を求めて鬼になることもあるということを意味している。ちなみに、この「神様」を理想とする世界観を「唯心論」という。

 一方、副交感神経が強いときには、我々人間は「動物」になる。要するに、本能のおもむくままに行動し、感覚を通じて得られるものが人生のすべてとなる。この世界観を、「唯物論」という。

 このように、我々は自律神経のバランスを崩すと、神(唯心論)を理想として追い求めたり、あるいは動物(唯物論)になってしまう。

 だから、我々人間が、神でもなく動物でもなく、一人の人間として生きるために、自律神経のバランスをとる必要があるのだ。

 この事実をさらに大きくとらえてみると、そもそも人間の思想の歴史は「唯心論」と「唯物論」の戦いの歴史であった。それは21世紀になっても、両者の戦いは続いている。

 唐突だが結論を先に言うと、私は2つの争いを解決できる思想は、佛教であると考えている。

 ところで、佛教思想の根底に流れる中心的な考え方は、人間主義、言い換えれば、ヒューマニズムである。
 つまり、根本的に人間を大切にし、人間が一般社会における最も価値の高い存在であることが正しいことを信ずる考え方。要するに、神でもなく動物でもなく、人間であることを追究する思想である。

■世界史おける人間主義の流れ
 ここで、人間主義という思想の歴史をふりかえってみよう。
 そもそも人間主義の考え方は、おそらく人類の発生と同時ぐらいに古いものであろうが、学問的な哲学体系として人類の歴史の中に登場し始めたのは、キュプロスのゼノン(紀元前336~264)が、古代ギリシャのアテネでストア学派を開いたことが、その出発点である。

 ストア学派においては、学問が論理学、自然学、倫理学の三部門に分かれていたが、そのうち最も重要視されたのは、倫理学であった。
 このことは佛教の教えの中で、やはり善悪の問題、道義の問題が最重点の課題とされたことと、一脈の共通点をもっている。

 また、ストア学派では人格的に完成された賢者の思想をもっていた。これも佛教僧が人格の完成を人生の目標と考えていることと共通の性格をもっている。

 さらに、ストア学派では「アパテイア」という思想をもっていた。アパテイアとは、身心に動揺のない状態を意味する。
 このことは、古代ギリシャ・ローマ時代において、自律神経に関する知識が存在したことを証明するものではないが、古代ギリシャ・ローマの人々が、生活上の実感として自律神経がバランスしている状態とバランスしていない状態との違いにすでに気づいていたといえなくもない。

 そして、このように人間の倫理道徳を最優先に考えるストア学派の哲学が、ローマ帝国から全ヨーロッパに派遣されたローマ軍隊の軍律を高め、士気を鼓舞することに役立ったのではないかと想像される。

■キリスト教信仰の到来
 しかし、ローマ帝国の末期には、東方の国イスラエルで生まれたキリスト教信仰が、滔々(とうとう)としてローマ帝国内に流入し、ことにローマ皇帝自身がキリスト教に改宗してからは、キリスト教信仰が、非常な勢いでヨーロッパ全土に広がる結果となった。

 もちろん、生産効率の比較的低い農業生産を中心とした封建制の社会においては、精神主義的な唯心論のキリスト教信仰に従って、人口の増大を極力抑える事も人間の重大な義務であったけれども、それと同時に、キリスト教的な精神主義が治安の維持に役立ったことも否定できない。

■近世における人間主義
 12~13世紀頃から、イタリアを中心にして東洋と西洋との交通が少しずつ始まり、14~15世紀頃からヨーロッパ全般に、古代ギリシャ・ローマ時代の人間主義的な文化をもう一度勉強し直そうとするルネッサンス運動が広まると、ヨーロッパ社会が一変した。

 ヨーロッパ社会全般に人間主義的な傾向が強まり、宗教改革、アメリカ合衆国の独立、フランス革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦、唯物論を理想としたソヴィエト連邦の解体などを考えて見ると、人類は数千年の歳月を費やしてはいるけれども、やがて人間主義を指導原理として、世界国家建設を可能にする時代を期待させるような状況がないともいえない時代となった。

 もちろん、現在の状況としても、現にイスラム教を中心とした、人間主義文化とはやや流れを異にする文化の流れもあり、世界の全人類がその問題の解決に向って、真剣な努力をしていることも否定できない。

 いずれにせよ、私はこの人間主義の復活が、いま世界が抱えている文化的な問題の解決として最大の力をもっていると思う。だから、はやく人間主義が世界の主流になる時代が来ればいいと願っている。

 そのとき中心的な思想となるのが、佛教であろう。そして、佛教の教えの中核をなすのが、坐禅なのである。

 

バックナンバー

2008.10.21
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2008.09.10
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経営コラムニスト紹介

西嶋和夫氏

西嶋和夫氏

 1919年(大正8年)横浜生まれ。東京大学法学部卒業後、大蔵省証券局を経て、日本証券金融(株)常任監査役、その後、(株)井田両国堂の社長に請われて、平成17年まで同社の顧問を務める。

 そもそも、師が仏教を探求するきっかけは、師の少年時代にさかのぼる。体の弱かった小学校低学年のとき、息子のからだを心配した父親が、毎日、師を散歩に連れ出し、走らせたという。 3年後には、毎朝、数キロ走るのが日課となったが、師は毎日1人で走るうちに、子ども心に「走っていると、どうしてこんなに気持ちが落ち着くのだろうか」と疑問に思うようになった。
 以来、その疑問を解くための探求がはじまる。

 18歳のとき、栃木県大中寺において、昭和を代表する名僧・澤木興道(さわきこうどう)老師に出会い、師が長年、疑問に思っていた答えが、仏教にあると直感。以後、25年にわたって、澤木興道老師の教えを受ける。  1973年、師が54歳の時、在家のまま出家、法名・愚道和夫(ぐどうわふ)となる。

 世界が少しでも真実に近き、真に豊かで平和な社会となるために、道元禅師の教えを世界に広めたいという願いから、ドーゲン・サンガ・インターナショナルを設立し、海外での普及に尽力する。2014年1月逝去。

 主な著書「現代語訳 正法眼蔵 全12巻」「仏教-第三の世界観」「坐禅のやり方」「中論提唱」「道元禅師と仏道」「仏道は実在論である」「仏教問答」「正法眼蔵提唱録 全34巻」「永平廣録」 その他多数。

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