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第1号 「社長こそ坐禅が必要」

第1号 「社長こそ坐禅が必要」

 はやいもので、今年の11月に、満88歳になった。 お陰さまで、毎日元気に暮らしているが、そろそろ死ぬ準備もしなければいけないと考えている。

 しかし、死ぬ準備といっても、べつに家族に遺言を書くわけではない。 そんなことよりも、私が16歳の時から今日まで、仏教を学んで知り得たこと、それを一人でも多くの人に伝えて死にたいと思っている。
 
 なぜなら、一般に「これが釈尊(しゃくそん)の教えだ」と広く理解されていることと、私の理解は大きく違っているからである。
 
 それについては、このシリーズの中で、少しずつお話ししていきたいと思っているが、現在、私は自分に残された仕事として、道元禅師がお書きになった「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の英訳を、さらにわかりやすく解説して、ブログにて世界へ配信している。
 
 それは、欧米の人たちにも、仏教哲学を理解してほしいためである。ただし、「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」は全部で98巻もあるので、私が死ぬまでに完成できるかどうかはわからない。それと同時に、いま、日本の経営者のために、本をまとめている。
 
 その本の中で、釈尊(しゃくそん)の教えを経営に活かす法、とくに釈尊(しゃくそん)の教えを理解するうえで一番重要な坐禅について、さまざまな角度から解説するが、この「社長のための坐禅入門」も、その仕事の一環である。
 
 というのは、坐禅は、頭で理解しただけでは、あまり意味がない。大事なことは、毎日、たとえ数分であっても実際にやってみること。そして、坐禅を続けることで、自分の変化に気づくことである。
 
 したがって、読者のみなさんには、坐禅のやり方を頭でひととおり理解されたら、とにもかくにも、坐禅をはじめていただければ幸いである。 なお、この連載の第5回目から具体的な坐禅のやり方を解説するつもりである。
 
 では、いよいよ本題に入ろう。
 
 第一回目のテーマは、社長はなぜ坐禅が必要か。
 
 それは社長という立場が、それ以外の人には想像ができないほどの激職だからである。これは、現に社長職についておられるご本人にとっては、毎日の実感であるから、「その通りだ」といわれるであろう。
 
 いや、毎日どころではない。ほとんど毎秒ごとの決断を迫られている。しかも、その毎秒ごとの決断が、ご本人はもとより、おおよそ会社で働く社員とその家族の運命を、現実の問題として支配するのである。
 
 正直なところ、私は現在の資本主義社会において、現に社長を続けておられる方々は、現代社会の英雄であり花形であると思う。それだけに、社長が負担しておられる職責の重みは、そばで見ている人々には想像することもできないような苦しみや負担があるだろう。
 
 そこで、一般に、そういう苦しみや負担を背負った人たちに、どういう事が起きるか?
 
 勝手な想像をするのはたいへん失礼だが、私自身を含めて多くの人たちの例から、おそらく、もっとも多い例は、身体の中にアルコールを注ぎ込むことではなかろうか。
 
 軽いところでは、ビール。好みによっては、灘の生一本がいいとか、いや「アルコールはスコッチに限るよと」いう方もいれば、「どこそこの何年ものでなければ、ワインの味がしない」というような、恐ろしいことをいう方もおられる。
 
 私もご多分に漏(も)れず、40歳頃までは、そのような小生意気な生き方をしていた。しかし、次第に「このままで良いのだろうか」と疑い始めたのである。
 
 身体にアルコールが入っている時間帯には、「さあー、矢でも鉄砲でも持って来い」という意気込みで、人生は完全なバラ色であるけれども、さて翌朝になってみると、どういう訳か、「青菜に塩」、昨晩の元気はどこへやら、とにかく、社会人という責任感から、勇気を振り起こして出かけて行く。
 
 幸いなことに、行けば行ったで、仕事が山のように待ちかまえているから、どうということはない。時間を忘れて仕事に打ち込んでいると、やがていつの間にか、例の「たそがれ時」がやってくる。
 
 そして、それに続く夜の日課として、自宅で晩酌を楽しむ場合でも、大切なお客様を接待する場合でも、たった一人でお気に入りの小料理屋に行き、板前の主人と世間話をする場合でも、酒を飲むという点では、ほとんど変わらない。
 
 要するに、アルコールの神様が身体の中に入っているか、入っていないかが重要なことであって、意識的であれ無意識であれ、アルコールによって、日中の仕事の緊張感を癒(いや)そうとする行為にほかならないからである。
 
 私はそのような生活が厭(いや)になった。ともかく、自分以外のものに支配されている自分が許せなくなった。
 
 では、どうすればいいのか? 
 
 その時に、ふと私の頭に浮かんできたものが坐禅であった。私は旧制高校の3年の秋から、故・澤木興道(こうどう)老師のご指導で坐禅の修行を続けていた。
 
 そこで、もしかすると、私がどっぷりとその中に浸かっているアルコールの束縛から、ひょっとすると抜け出すことができるかも知れないぞという直観が,どこからともなく訪れた。
 そして、毎日、朝晩、坐禅の修行を続けるようになってから、いつの間にかアルコールの束縛から解放されている自分を発見した。
 
 なぜ、朝晩、たんに姿勢を正して、じーと坐っていることが、そんなに大きな変化を人間に与えるのであろうか。
 
 そもそも、坐禅は今から2千数百年前に、古代インドの聖者・釈尊(しゃくそん)によって始められた古い修行法ではある。しかし、その科学的な理由については、20世紀および21世紀になってからでないとわからなかった。
 
 それが、幸いにして、20世紀以降、近代的な心理学、生理学の研究が長足の進歩を遂げるようになってから、誰もが疑問の余地のない形で納得し始めたのである。

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2008.10.21
第20号 佛教の勉強を何から始めればよいか
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経営コラムニスト紹介

西嶋和夫氏

西嶋和夫氏

 1919年(大正8年)横浜生まれ。東京大学法学部卒業後、大蔵省証券局を経て、日本証券金融(株)常任監査役、その後、(株)井田両国堂の社長に請われて、平成17年まで同社の顧問を務める。

 そもそも、師が仏教を探求するきっかけは、師の少年時代にさかのぼる。体の弱かった小学校低学年のとき、息子のからだを心配した父親が、毎日、師を散歩に連れ出し、走らせたという。 3年後には、毎朝、数キロ走るのが日課となったが、師は毎日1人で走るうちに、子ども心に「走っていると、どうしてこんなに気持ちが落ち着くのだろうか」と疑問に思うようになった。
 以来、その疑問を解くための探求がはじまる。

 18歳のとき、栃木県大中寺において、昭和を代表する名僧・澤木興道(さわきこうどう)老師に出会い、師が長年、疑問に思っていた答えが、仏教にあると直感。以後、25年にわたって、澤木興道老師の教えを受ける。  1973年、師が54歳の時、在家のまま出家、法名・愚道和夫(ぐどうわふ)となる。

 世界が少しでも真実に近き、真に豊かで平和な社会となるために、道元禅師の教えを世界に広めたいという願いから、ドーゲン・サンガ・インターナショナルを設立し、海外での普及に尽力する。2014年1月逝去。

 主な著書「現代語訳 正法眼蔵 全12巻」「仏教-第三の世界観」「坐禅のやり方」「中論提唱」「道元禅師と仏道」「仏道は実在論である」「仏教問答」「正法眼蔵提唱録 全34巻」「永平廣録」 その他多数。

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杉山巌海 (名古屋大原学園学園長)

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