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挑戦の決断(27) 古代国家の改造(蘇我氏三代)

指導者たる者かくあるべし

 東アジア激動の世紀
 6世紀終盤、日本を含む東アジア世界は激動の時代を迎えていた。原因は中国大陸の情勢の変化だ。581年、初代文帝によって中国北部地域に建国された隋は、またたく間に周辺国を併合、滅ぼし、589年には中国全土を統一する。
 文帝は律令による法治国家実現を目指して改革を断行し、仏教を支えとした中央集権化で強力な国家づくりを目指す。中国に統一国家が出現するのは約300年ぶりのことだ。隋は598年、隋に従わない朝鮮半島北部の高句麗に出兵し、周辺諸国に圧力をかけ始める。6世紀末の朝鮮半島は、北部の高句麗と南部の百済、新羅が分立ししのぎを削っていた。百済と新羅の間には、倭国(当時の日本)が大きな影響力を持つ伽耶(かや)諸国があった。
 倭国は隋の出現への対処を急ぐ必要に迫られる。当時の倭国は女帝推古(すいこ)の時代で、実際の国政運営は、推古の甥で皇太子の聖徳太子と豪族の長である蘇我馬子(そがのうまこ)が二人三脚で担っていた。馬子は総理大臣格の大臣(おとど)の地位にあり、中国、半島からの渡来人部族に大きな影響力を持ち、彼らから国際情勢について情報を集め対応を検討した。
 まず馬子が取り組んだのは、新時代の外交方針の決定と、隋にならい律令制定による天皇中心の中央集権体制の確立だった。つまり古代における国家の「現代化」、国家改造である。
 
 全方位外交と中央集権化
 まずは外交。馬子の主導で進められたのは、新たに出現した隋と良好な関係を結び、朝鮮半島の三国に対しては、どこか一国に偏らず全方位のバランス外交を展開することだった。それまでの外交方針は、百済と接近し、南下政策をとる高句麗を牽制するとともに伽耶諸国の擁護を百済に託すことだった。しかし百済は次第に伽耶諸国を併合する動きを強めていく。馬子が下したのは、時には百済、時には新羅に、また古来、敵対を繰り返してきた高句麗に接近し、バランスの中で朝鮮半島での影響力を残す外交方針だった。
 新時代に適応したグローバルな視野での外交だ。百済との間で古くから維持してきた朝鮮半島利権をただ守ろうとする守旧派の有力豪族たちには思いつかない発想だった。この方針に基づいて推古朝に二度の遣隋使を派遣して、東アジア超大国との関係を強化する。これはその後の遣唐使にも引き継がれる。また、隋の圧力をひしひしと感じて倭国に外交・軍事支援を求める半島三国からの使者は、公平かつ丁重に扱っている。
 二度の遣隋使を通じて馬子と聖徳太子が実感したのは、わが国の〈近代化〉の立ち遅れだった。朝鮮半島諸国は、それぞれに律令体制、官位を定めた官僚体制の導入を進め、国家体制の近代化を進めていた。この分野は聖徳太子が担い、十七条の憲法、冠位十二階を定めていく。
 この外交、内政改革のキーワードとなるのが仏教の本格的受容だ。なぜなら隋の出現以前から東アジアの文化のグローバルスタンダードは仏教となりつつあった。それはもはや単なる宗教ではなく、文化の共通語であり、建築を含めて文明の尺度でもあった。それを認識していた国際派の蘇我氏一族は早くから仏教を受け入れてきた。仏教か神道かをめぐる蘇我氏、物部氏の間の宗教戦争も、世界が見えていたかどうかの視点で見ると理解しやすいだろう。物部氏には国際的視野が欠けていた。
 実際に馬子が建てた飛鳥寺を見てみよう。伽藍様式は塔を三つの金堂が囲む高句麗式だったが、屋根に葺かれた瓦は百済様式であることが発掘調査でわかっている。その建造には、敵対していた高句麗と百済の職人がともに関与したことになる。単なる宗教建造物ではない。目に見える形で馬子時代の全方位国際交流を裏付けている。
 
 誤解された「大化の改新」
 こうした天皇の権威を中心にした中央集権化とバランス外交の発想は、馬子亡き後、国政を支えた子の蘇我蝦夷(そがのえみし)、孫の入鹿(いるか)へと受け継がれた。しかし、645年に起きた宮廷クーデター(乙巳=いっし=の変)で、蝦夷、入鹿が殺害され、全方位外交は、偏狭な百済一辺倒外交に逆戻りする。
 クーデターは、首謀者である中大兄(なかのおおえ)皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、百済支持の豪族たちに支えられての犯行であった。犯行が、宮廷で朝鮮半島の三国からの調(貢ぎ物)をあらためる儀式の場で起きたことを考えると、犯行動機は蘇我氏が進める外交への豪族たちの不満であったことは明らかである。
 しかしながら私たちが中学、高校で教わった歴史では、このクーデターの動機については、こうあった。
 〈蘇我氏本宗家(本家)は、天皇を無視した専横政治で国を混乱に陥れ、天皇に成り代わろうとしたために殺された〉
 そして、〈クーデター翌年に中大兄たちが始めた「大化の改新」によって、律令政治による天皇中心の古代国家の基礎が築かれた〉とクーデターを積極評価している。
 しかし史実としては、クーデターを支持した豪族たちが既得権の温存を主張し、律令国家建設は遅々として進まなかった。のみならず、中大兄は、唐と新羅に攻め込まれた百済救援にのめり込んで、朝鮮半島に出兵し白村江の戦いで壊滅的な敗戦を喫し、国家存亡の危機に追い込まれるのである。
 なぜか、日本最初の歴史書である『日本書紀』には、蘇我氏三代は憎々しげに悪人として描かれて功績は覆い隠されている。中大兄、鎌足は英雄扱いなのである。なぜならば、同書の編纂は鎌足の息子、藤原不比等が主導したからなのだ。公平な歴史記述は望むべくもない。そして私たちが学んだ「大化の改新」は、同書に基づくのだろう。
 権力闘争はオトコ社会につきものである。オトコの業(ごう)のようなものである。蘇我氏一族も政治抗争の過程で多くの皇族、豪族を殺害している。だとしても、政治は理想を実現するための力である。理想が的はずれなクーデターは混乱を招くばかりである。
 
(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
 
 
 
※参考文献
『蘇我氏–古代豪族の興亡』倉本一宏著 中公新書
『日本の歴史2 古代国家の成立』直木孝次郎著 中公文庫

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