社長の経営セミナー・本・講演CD&DVD・ダウンロード【日本経営合理化協会】

文字の大きさ

ようこそ、ゲスト

挑戦の決断(14) 被災した民のため国庫を開け(明暦大火に対処した保科正之)

挑戦の決断(14) 被災した民のため国庫を開け(明暦大火に対処した保科正之)

 未曾有の大火
 世は城ブームだそうである。戦国時代から江戸時代にかけて各地に築かれた城、とくに天守閣の修復、保存が行われている。しかし天下の名城中の名城であった江戸城には天守閣が現存しない。本丸跡に天守台の石垣が残るのみである。
 明治維新で皇居が江戸城に遷った際に取り壊されたわけではなければ、関東大震災で崩壊したわけでも東京空襲で焼けたのでもない。江戸の大半が焼け野原になった明暦の大火(1657年)で焼失したあと、ある男が「被災者の救護が第一、天守の再建は不要」との英断を下したことによる。
 明暦3年1月18日、江戸本郷の寺から出た火は、折りからの強風に煽られて三日三晩かけて燃え広がり、江戸城を含む市中の大半が灰塵に帰した。焼死者は10万を超えたとされる未曾有の大火である。
 当時、徳川4代将軍・家綱の治世であったが、まだ17歳と若く病弱でもあった。集団指導体制をとっていた幕閣たちも突如の天災にうろたえるばかりで、城中にいた先代将軍家光の異母弟で家綱の輔弼(ほひつ=補佐役)の保科正之(ほしな・まさゆき)が危機対応に奔走した。
 
 米蔵を守る機転
 出火2日め、火の手は浅草の隅田川沿いにある幕府の米蔵に迫った。貯蔵されている蔵米は旗本たちの給金に充てられるもので、さらに換金流通して江戸市民の食糧となる。これが焼けてしまえば暴動につながるのは必至だ。まだ町火消しの制度はなく、大名屋敷の少数の火消しでは手に負えない。正之は機転を利かせて市中にお触れを出した。
 「浅草の米蔵に走って、その米を取り出せば取り放題とする」
 焼け出された町人たちは競って消化活動をしながら浅草へ向かい米を運び出す。町人が率先して火消しに早変わりし、運び出された米は救護米となった。暴徒を撃退するために警備を厳重にするだけでは、むざむざ米は焼けてしまうだけでなく暴動を招いていた。とっさの逆転の発想が功を奏した。これが江戸火消しを組織するきっかけとなった。
 正之はさらに、市内各所で炊き出しを行って躊躇(ちゅうちょ)なく被災民の救済に乗り出す。また城内の御金蔵を開いて旗本たちに臨時給付金を手当てする。旗本たちだけでなく町人にも住居復旧のための資金も放出する。
 これには、幕閣たちが抵抗する。「これではあっという間に幕府財政は破綻する」。正之はその意見を一喝した。
 「すべて官庫の貯蓄というものは、こんな時に下々に施し、武士、町人を安心させるためにあるのだ。ただただ積み置いているだけでは、蓄えがないのと同じではないか」
 コロナ対策で後手後手に回り、財政出動を渋りちびちびと給付金を小出しにして国民を疲弊させている今の政治家、官僚に見習ってもらいたいものだ。
 どんどん空櫃となってゆく御金蔵と米蔵の様子に不安を脅える勘定方は、各藩からの借り入れを計画するが、ここでも正之は強く反対する。
 「江戸が大災害で混乱している時に、各藩から借金、借米したのでは、幕府の威信は地に落ちる。不要な支出を見直して緊縮財政を目指すべきである」
 
 天守再建より民政安定を
 その他、彼はさまざまな施策を矢継ぎ早に立案し家綱に提案している。江戸市中での口減らしのために、参勤交代で江戸に詰めている大名家族、武士たちを帰郷させる。贅沢に慣れている彼らの消費は、物資の買い占めの要因であり、物価高騰を招きかねないと見てのことだ。
 正之は市中を見回り被災者の遺体が放置されているのを知るや、本所に集めて葬った。今に残る回向院の万人塚である。隅田川沿いの下町に犠牲者が多いのは、猛火に追われて川沿いに追い詰められてのことだった。当時、隅田川には軍事上、敵の侵入を防ぐために橋が架けられていなかった。復興都市計画では、両国橋をはじめ架橋計画も盛り込んだ。
 〈幕府を安定させるには、軍事上の防御を固めるより、市民の安寧を確保することが肝要だ〉との理念による。どこまでも市民の安全・安心第一主義で貫かれている。
 その先に江戸城に天守閣が現存しない理由がある。大火から二年が経ち、ようやく世情が落ち着くと天守閣再建計画が持ち上がる。家康の江戸開府以来、秀忠、家光はそれぞれに天守閣を増改築し、幕府の威信を天下に示してきた。しかし正之の考えは違った。
 「天守閣というのは、(織田)信長以来のものだが、城の防御にそれほど役立つとは思えない。ただ、遠くから眺めて立派だなぁと思うだけのものである。今、町民たちが住居をなんとか建て直そうと必死のときに、幕府の大工事で時間と金をかけるのは障害となる」
 〈あくまで民政の安定に力を尽くせ。天守閣の威容を誇っている場合ではないのだ〉
 その伝統が幕末まで続き、町民に支えられて徳川の世の太平は以後二百年、天守閣なしで続いたのだ。
 
 (書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
 
 
 
※参考文献
『保科正之』中村彰彦著 中公文庫
『名君保科正之』中村彰彦著 河出文庫

バックナンバー

2021.04.13
挑戦の決断(15) 華人の政権を取り戻せ(中国明朝を開いた朱元璋)
2021.04.06
挑戦の決断(14) 被災した民のため国庫を開け(明暦大火に対処した保科正之)
2021.03.30
挑戦の決断(13) 圧倒的な敵と戦う(内乱最終決戦でのユリウス・カエサル)
2021.03.23
挑戦の決断(12) ルビコン川を渡る(ユリウス・カエサル)
2021.03.16
挑戦の決断(11) 常に革新を目指せ(渋沢栄一)
  1. ≫記事一覧

経営コラムニスト紹介

宇惠一郎

宇惠一郎氏  元読売新聞東京本社国際部編集委員

 早稲田大学卒業後、商社を経て、1978年読売新聞社入社。社会部、外報部、95~98年ソウル支局長。帰国後、解説部次長、2007年編集委員。2011年4月〜2012年8月ソウル支局長(専任部長)、2012年9月編集委員、現在フリージャーナリストとして活躍している。

 主な著書と受賞歴
「20XX年地方都市はどう生きるか」
「やさしい政治家 早稲田出身国会議員54人の研究」
「理解と誤解 特派員の読む金大中の韓国」
  1997年「第1回 サムスン言論大賞特別賞(海外部門)」受賞


連絡先 ueichi@nifty.com
 

おすすめ商品

「会計経営と実学」DVD

「会計経営と実学」DVD

小長谷敦子 (経営ステーション京都取締役 公認会計士・税理士)
田村繁和 (経営ステーション京都代表、京セラ(元)監査役)

宇惠一郎氏の経営コラムに関するお問い合わせ