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挑戦の決断(11) 常に革新を目指せ(渋沢栄一)

挑戦の決断(11) 常に革新を目指せ(渋沢栄一)

 スエズで出会った「民」の力
 日本における「資本主義の父」とされる渋沢栄一が明治新国家の基盤は経済運営システムの改革、確立にありと考えるようになった原点は、若い頃の海外経験だった。
 慶応3年(1867年)、幕臣だった渋沢は、パリで開かれた万国博覧会に日本を代表して出展した幕府の使節団庶務会計としてフランスに向かう。当時、渋沢は27歳。
 長い船旅の終盤、スエズから地中海のアレクサンドリアまで600キロは陸路をたどった。初めての汽車に乗る。西洋の文明の到達度に目を開かれる。さらに驚いたのは、車窓から見た建設中のスエズ運河の掘削工事だった。
 その世紀の大事業が民間企業の力で進められていることを聞いて耳を疑った。「民」の力で計画を建て、広く資金を集めて事業を推進する「株式会社」方式である。事業といいうと幕府か藩が「公」として進めるものという常識が覆された。夢のような事業に賛同する広範な人々が金を持ち寄る。そして事業が完成した暁にはその利益を出資者が共有し分配する。結果として事業は国の境を超えて世界発展に貢献する。
 「これだ。これが日本が将来の国家発展の経済モデルとして学ぶべきものだ」。澁澤は雷撃を受けたように感じた。深く胸に刻む。
 欧州の旅は万博視察を含めて2年に及んだ。フランスを含め各国は産業革命の真っ最中。製鉄所ほかさまざまな工場、鉄道、上下水道などの都市インフラを強い好奇心を持って巡った。しかし、渋沢が最も興味を持ったのは目を奪うような先進技術ではなく、その経済システムを運営する体制、構造だった。
 渋沢は外遊を延長して西欧流の経済制度研究のための留学を志したが、この間、祖国では彼を送り出した徳川幕府は倒れ、明治新政府は即刻帰国を命じる。
 
 静岡藩での実験
 渋沢は近代国家における経済の要点を、①銀行の役割②鉄道などの交通インフラ③公債証書の発行−の3点にあると理解した。大前提は、江戸時代を通じて醸成された「官尊民卑」の打破におくべきだと考えた。これが外遊を通じて得た結論であり、帰国後の改革実践を決断していた。
 将軍の地位を奪われて駿府に蟄居していた徳川慶喜を頼って静岡藩に奉職した渋沢は、そのことを藩内で説き伏せて実験に取り掛かる。新政府が藩の運営支援と紙幣の流通を目指して交付した新紙幣を元手に、士族、商人たちから広く出資を募り、「商法会所」を立ち上げて頭取に就任した。
 広く集めた資本で城下の商人を動かし江戸から肥料を、大阪から米穀を買い集める。インフレ傾向が強まるとこれを各地に売り捌いて利潤を稼ぎ、また、肥料、資材は藩内の農家に貸し付ける。武士の時代には蔑まれた「商い」で、資本を増やし投資することを目指した。日本初の株式会社であり、銀行と商社機能を兼ね備えていた。
 商法会所の運営が緒についたところで、渋沢の商才を聞きつけた東京の中央政府から呼び出される。当時、新政府は、財政基盤は脆弱で、経済に関しては士族の寄せ集めで素人同然であったから大混乱していた。旧幕臣とはいえ渋沢は埼玉深谷の商農家の出身で算盤に強い。さらに幕府の将来を見限り一時は尊王攘夷運動に肩入れした。その改革志向を見込んで、政府は大蔵省勤務を命じた。
 
 悪習のほこりは知らぬうちに溜まる
 上京した渋沢は、官僚は真っ平御免、静岡での仕事もこれからであるとして、断るつもりだったが、呼び出した大隈重信は諭した。
 「維新の世となって政府はやるべきことが山積している。大蔵省をとっても貨幣制度、租税の改正、公債の方法、株式会社の組織、郵便、交通制度、度量衡の統一など仕事は枚挙にいとまがない。お前さんの言う静岡での新事業も、日本全体の経済から見れば、些細なことだ。その小を捨てて大なる方に力を尽くすことこそ国民の本分ではないか」
 渋沢は受け入れるにあたって、非効率な官僚組織の改革を条件に引き受ける。そして彼は改革担当となり、次々と新規軸を導入していく。託された事業も軌道に乗せていく。
 そして、33歳で、制度改革の目処をつけ、民間に戻る。「俺にはやるべきことがある」。彼は、明治42年に69歳で経営者として現役を引退するまで、第一銀行など20行を含む500社を設立、日本経済の基盤を確固としたものに育てあげた。
 
 「官尊民卑」の打破に一生を捧げた渋沢は、明治末年に回顧している。
 「つらつら現在の状況を見るに、進歩の機運が滞りつつあるのではないかと疑わざるを得ない。悪習というものは、いつの間にやら眼に立たぬよう、自然自然に生じていくものであり注意しなければならない。明治ももはや四十四年の歳月を重ね、だいぶ苔もついてきたが、同時にほこりも溜まった。何事も規則ずくめに食傷するの観がある」
 老いても若い時代に志した改革の意思は健在である。スエズでの驚きを終生失わない永遠の青年実業家なのだ。
 
 (書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com
 
 
 
※参考文献
『渋沢栄一自伝』渋沢栄一著 角川ソフィア文庫
『渋沢栄一』木村昌人著 ちくま新書
『渋沢百訓』渋沢栄一著 角川ソフィア文庫

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経営コラムニスト紹介

宇惠一郎

宇惠一郎氏  元読売新聞東京本社国際部編集委員

 早稲田大学卒業後、商社を経て、1978年読売新聞社入社。社会部、外報部、95~98年ソウル支局長。帰国後、解説部次長、2007年編集委員。2011年4月〜2012年8月ソウル支局長(専任部長)、2012年9月編集委員、現在フリージャーナリストとして活躍している。

 主な著書と受賞歴
「20XX年地方都市はどう生きるか」
「やさしい政治家 早稲田出身国会議員54人の研究」
「理解と誤解 特派員の読む金大中の韓国」
  1997年「第1回 サムスン言論大賞特別賞(海外部門)」受賞


連絡先 ueichi@nifty.com
 

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