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第50話 「"創50"に想う」

本田宗一郎との『叱られ問答』

成功哲学・人生哲学

2010.05.07

岩倉信弥(本田技研(元)常務 )

1997年秋、例年にない雨続きの空が奇跡的に晴れ上がった。
30万人の応募者のうち幸運にも選ばれた5万人の人々が、
ホンダの「創50」の記念イベント会場「ツインリンクもてぎ」のメインスタンドを埋め尽くした。

我々の視線の先には、ホンダにF1初勝利をもたらした「RA272」の勇姿がある。
補助エンジン付き自転車がトコトコと、その後を「スーパーカブ」が追い、そして「S500」や「S800」が続く。

次々と過去の栄光を彩った車が、さらに続いて、21世紀のスポーツカーとして開発中の白い「S2000」が疾走する。
「世界一なら、日本一だろう」という本田さんの名台詞に魅せられ、無我夢中で仕事に打ち込んでいた
青春時代が甦ってきた。

この年、創立50周年を迎えたホンダは、世界に展開する日本有数の大企業に成長し、
高度成長期に「ホンダ神話」と言われるほどに。この「神話」はいつまで続くのだろうと、ふと脳裏をよぎった。

ホンダは日本には珍しく、製品を通して創業者の顔が見える企業だと、私は思っている。
本田さんが社長の座を退かれたのは70 年代のはじめ。
今では本田さんの顔を知らないお客さんも多い。

が、ホンダには沢山の熱烈なファンがいる。
ホンダユーザー全体の中で、そう言ったファンが占める割合は日本国内の他のメーカーと比較すると
おそらく最も高いはず。
帰するところこの人たちは、ホンダのオートバイや自動車に「本田宗一郎」を感じとっているに違いない。

その本田さんが、ホンダという会社を興したのは終戦の混乱が少し落ち着いた1948年(昭和23年)、
なんと42 歳の時である。
世間の常識では大変に遅い出発であった。
がその時、これでようやく「夢」が実現できる、自分のつくりたいものがつくれるという喜びで一杯だったろう。

本田さんは自らの「夢」を実現し、1991年夏、85年間の生涯を閉じられた。
フィナーレを飾って、2輪のレッドマン、F1のギンサーという往年の名レーサーが、見事に復元された当時そのままの
マシンを操り、夕闇迫るメインスタンド前のストレートを駆け抜けて行った。

見ている私の目は、感激の涙で霞んだ。
きっと、ハンドルを握っている彼らも、同様であるに違いない。
みんな泣いていた。
これが「ホンダらしさ」なのだろうなと思った。
私の、入社当時の「ドキドキ」と「ワクワク」は、33年経ったこの日もまだ、間違いなく続いていた。

講師紹介

岩倉信弥(本田技研(元)常務 )

1964年、多摩美術大学卒業と同時に本田技研工業株式会社に入社。創業者・本田宗一郎の薫陶を受け、ホンダ社のデザインの担い手となる。 大ヒット車「シビック」のデザイン担当として、カーオブザイヤー大賞受賞など、受賞歴多数。日本の自動車デザイン界の第一人者。 デザイン室の技術統括、本田...>もっと見る

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