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第48話 「アイデンティティ」

本田宗一郎との『叱られ問答』

成功哲学・人生哲学

2010.05.07

岩倉信弥(本田技研(元)常務 )
このところよく、「こんな時、本田さんならどうするのだろうか」と考える。ホンダはバブル経済崩壊の後遺症から素早く立ち直り、収益も人が羨むほどになり先の見通しも立った。バブル崩壊後の立て直しに追われ、やむなく先送りされてきた「次世紀、ホンダのアイデンティティは如何にあるべきか」について、考えるゆとりもできた。本田さんが、浜松に町工場同然の小さな会社を興されてから間もなく50年。何度かの危機を乗り越え今が在る。が、その本田さんはすでにいない。この先、その名前もイメージも少しずつ風化していくだろう。21世紀のホンダは何を拠り所にすべきだろうか。どのような気持ちで、本田さんは会社を興し育ててこられたのか、それさえもやがて解らなくなってしまう。さらに言うなら、そもそも「ホンダ」とは果たして何なのか、それも分かり難いものになってきてはいまいか。「エンジン製品メーカーである」、は答えではない。それには違いはないが、では他の日本の、西欧の、アジアの後発の、数多あるメーカーと一体どこがどう違うのか。本田さんは日本から世界を目指した。ホンダは現在、米国のビジネスでは大成功を納めている。しかし振り返ってみると、先輩方が最初に挑んだのは欧州であった。英国「マン島」での2輪レース、ベルギーへの工場進出、4輪レースのF1もそうだ。「シビック」も欧州のFFコンセプトに学んだ。そして、彼らの合理主義や性能主義に日本的もてなしの味を加え、米国の人たちを魅了する料理をつくり上げた。英国の2輪、ドイツの4輪に学んだところが大きい。まさしく、日本で生まれ、欧州で学び、米国で育った会社である。 振り返ってみると、ホンダは欧州において、一派一絡げに「ジャパニーズ・カーと」と呼ばれるのではなく、ホンダは「ホンダ」であるとして、「顔の見える会社」と一目おかれる時期があった。80年代中盤、ロングルーフスタイルの「3代目シビック・3ドア」「初代CRX」「2代目プレリュード」などが気を吐いていた頃である。これらの商品に共通していたのは、個性的な欧州車群の中にあって、そのスタイルと性能に極めて独自性を持っていたこと。それ故に企業イメージも、日本車群からは遥かに抜きん出て、ベンツ、BMWには及ばないまでも、頑張れば手の届きそうなところにあった。

講師紹介

岩倉信弥(本田技研(元)常務 )

1964年、多摩美術大学卒業と同時に本田技研工業株式会社に入社。創業者・本田宗一郎の薫陶を受け、ホンダ社のデザインの担い手となる。 大ヒット車「シビック」のデザイン担当として、カーオブザイヤー大賞受賞など、受賞歴多数。日本の自動車デザイン界の第一人者。 デザイン室の技術統括、本田...>もっと見る

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